結果は、人を護るための武器

Journal No.001
2016年頃の古いツイキャス配信を、ふと見返したことがある。
画面の向こうには、15歳の自分がいた。
少し尖っていて、
少し不器用で、
今よりずっと言葉が荒い。
そんな自分が、数学の話をしていた。
「やり方ひとつ間違えただけで違う答えが出る。そして、その答えには×が付く。それが気に入らない。」
当時は、ただの勉強嫌いだと思っていた。
数学が苦手で、だから嫌いなのだと。
けれど、十年近く経った今、その言葉を聞き返すと、少しだけ違って見える。
本当に嫌いだったのは、
数学そのものだったのだろうか。
それとも、
「たった一つの間違いで、そこまでの過程ごと切り落とされる」
感じだったのだろうか。
なぜその答えに辿り着いたのか。
その途中で、何を見て、何を考えていたのか。
どんな気持ちでそこにいたのか。
そういうものは、
最後の数字や記号の前では、あまりにも静かに消えてしまう。
「残るのは○か×か」
それだけで、ひとまず世界が片づいていく。
15歳の自分は、数学の話をしていた。
でも本当は、数学だけの話ではなかった。
「結果だけで人を決めていいのか。」
まだ言葉にならないまま、その問いに反応していたのだと思う。
大人になった今も、その感覚は消えていない。
社会にはルールがある。
数字が必要な場面もあるし、
事実を確かめなければならない場面もある。
それを否定したいわけじゃない。
大人になった今、それはよく理解している。
結果でしか護れないものが、たしかにあるからだ。
だから私は、
結果を取りに行く。死ぬ気で。
「結果は、人を護るための武器」だ。
武器だから、死ぬ気で研ぎ続ける。
証明しなければ、届かないものがある。
形にしなければ、護れないものがある。
でも、武器のために、護るはずの人を斬ってしまったら、本末転倒だ。
もし結果と、目の前の人とが、正面でぶつかったら。
私は、人を取る。
武器は、捨てられる。
けれど、人は捨てない。
大切な誰かが苦しんでいるのを、
見過ごしてまで欲しい結果なんて、
私にはない。
自分のことを少し後回しにしてでも、手を伸ばす。
それが、人の良さだと思うから。
社会の歯車である前に、
私たちは一人一人、別の人間だ。
社会は、人を守るための構造に過ぎない。
構造のために人を諦めるなら、順番が逆になっている。
ただ、
私は「助けるに値する人」を選んでいるわけじゃない。
この人は善い人だから、
信じられる人だから、
という表面上を見て審査をしているわけじゃない。
信じているのは、もっと別のところだ。
人は、この一つの行動だけで終わる存在じゃない。
その人にも人生があり、
護りたい誰かがいて、
積み重なった記憶がある。
だから私は、目の前の相手を、点ではなく、背景ごと見る。
そして、
私が差し出すかどうかは、相手を採点した結果じゃない。
「この人だから助ける」ではなく、
「この人に対して、私はこう動く」。
それは相手を選ぶというより、
自分の在り方を選ぶことだ。
責任は、相手の値打ちにではなく、
私の差し出し方のほうにある。
人はそれぞれの人生と記憶の中で生きている。
その誰かの人生にも、また別の誰かが手を差し出している。
私が手を引っ込めた相手の先にも
きっと、誰かの手が伸びている。
だから、すべてを一人で背負わなくていい。
人と人の間には、そういう循環がある。
人は、結果で処理される存在であると同時に、
記憶と感情によってしか、理解できない存在でもある。
今の姿だけで立っているわけじゃない。
選ばなかった道も、
言えなかった言葉も、
うまく届かなかった気持ちも、
たぶん全部、どこかに残っている。
人は、記憶の上に生きている。
社会は人を測る。
それは、必要なことだ。
けれど、
人を人として残すのは、記憶のほうだ。
そして私は、
その記憶を護るために、結果を取りに行く。
順番だけは、間違えないように。
かつて、自分が嫌いだった時期がある。
社会の真ん中で立てなくなって、
どうでもいいやと、明るいとは言えない場所に流れ着いた。
社会から見れば、間違いとされる世界。
それでも私は、間違いだとは思わない。
15歳の私が×に納得できなかったもの。
過程も、事情も、抱えていたものも、
ここでは切り捨てられなかった。
その×を、
私はやっぱり間違いだとは思えない。
その×が私を奮い立たせてくれたからだ。
時に優しく、時に厳しく、
たしかに愛を持って、接してくれた。
私はそこで、結果ではなく、
人の温かさに救われた。
あの頃の私と今の私を比べれば、
自分でも驚くほど変わった。
人と支え合ってできているという結果を、
私はこの目で見た。
人と人とで織りなすものには、
一人では届かない力がある。
私はその恩を、まだ返せていない。
お世話になったその場所で、
ある人が、かつての私と同じように沈んでいくのを見た。
話を聞くことはできた。
優しく、隣に座ることもできた。
それでも、
本当の意味で隣に座ることはできなかった。
心の底から、これ以上のことをしてあげたいと思うのに、
何も差し出せない。
頼ってくれたのに、
一緒に戦える武器が、私にはなかった。
余裕も、力も、結果も、
何ひとつ持っていなかったからだ。
だから、証明する。
結果を武器にして、過程に居てくれた人を、
その記憶を、今度こそ護れるということを。
私は、測られる世界のまんなかで、結果を取りに行きながら
その手で、
人と記憶だけは手放さずに立っていたい。